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9/22 「牛タンの街で牛戦争」 8/25〜11/10/2002
4「汎神Vに備える大阪府知事」 11/12〜1/20/2003
12「ハクビシンを捨てないで」全国各地でデモ」 2/5〜9/30/2003
12「イカ塩辛入りもマヨネーズ 農水省に改正要求」
20「たった一人の卒業式−宵島中」
12「気象庁開花予想 VS.桜」
22「丹波篠山の農家でゴッホの「麦畑」発見」
「たまたま」

牛タンの街で牛戦争

2003年922日


 牛タン発祥の地・仙台で抗争が激化――。牛タン業界最大手の「四代目ギュー家」(本社・仙台市)、「なか牛」(本社・同)などが競合している仙台市に、7月、牛丼チェーン店大手の「牛乃屋」(本社・東京)が東北1号店をオープン。以来、「仁義なき牛の戦い」が激化している。 

 事件が起こったのは18日午前4時ごろ。仙台署によると、「牛が殴り合っている。銃声も聞こえる」という内容の110番通報があり、駆けつけたところ、県道沿いにある牛乃屋東北1号店のシャッターに短銃の弾が撃ち込まれているのが見つかった。さらに頭から血を流して倒れている牛と、泡を吹きながら逃走する牛を発見、倒れている牛はすでに死亡していた。仙台署では死亡した牛が「牛乃屋」所属であり、「四代目ギュー家」と描かれた弾痕を臀部に受けていたところから、一連の牛抗争と見て、現場から逃走した牛の行方を追っている。尚、死亡した牛の舌はその場でカットされ、塩・コショウで味付けされた後、炭火で焼かれ、テールスープ、麦メシととも仙台署員の胃袋に収まったという。

 仙台市内では、平成元年に「四代目ギュー家」所属の牛が「なか牛」一家の巨乳雌牛を襲ったことで牛戦争が勃発。数ヶ月後、「四代目ギュー家」の若頭牛が「なか牛」のチンピラ牛たちに誘拐され、牛肉の大和煮缶詰になって宅急便で届けられるという事件が起こった。その後15年間にわたって牛血を牛血で洗う殺戮が繰り返され、仙台市民を恐怖のどん底に陥し入れつつ、仙台署員に舌鼓を打たせてきたという。「牛乃屋」の参入で三つどもえの抗争も考えられる中、「四代目ギュー家」の牛島会長は今回の事件と子飼い牛との関係を否定、「牛タン定食になって食べられる牛同志が、何で争う必要があるのか」と複雑な表情で語っている。

 

 

 
「仁義なき牛の戦い」が激化

 

 

 


汎神Vに備える大阪府知事

2003年74日


 2位の中日を13.5差と突き放し、貯金は51年ぶりに大台の30に到達。まさに“神業”のような勢いで勝ち進んでいる汎神タイガースが、今週末にもプロ野球史上最速のマジック点灯を実現する可能性が出てきた

 それに伴い大阪府では、早くも「飛び込み」で知られる大阪ミナミ・道頓堀川の“汎神優勝Xデー”対策に乗り出した。85年の汎神優勝時に、道頓堀川の戎(えびす)橋から数十人が飛び込んで始まったとされる“道頓堀ダイブ”。今年の汎神優勝が決まれば、85年を上回る騒動になるのは必至だ。虎ファンの年齢層がサッカーファンなどより高いこともあり、大阪府警南署では、「酒に酔ったままのダイブで死者が出る可能性もある」と心配している。

 そこで大田フサエ大阪府知事が考案したのが、多数が飛び込むと予想される戎橋に、本格的な「飛び込み台」を建設することだ。知事は昨年、ワールドカップ開催中に3000人近くが道頓堀にダイビングした事を例にとり、「飛び込んじゃいけないと言っても飛び込む人は跡を絶たない。だったら安全に飛び込める施設を作るべき」と今月1日の議会で示唆した。

 知事の計画する「大阪府公認飛び込み台建設案」は、1)戎橋を挟んだ川の一区画(20m×22m)をコンクリートで囲み、水深5mのプールを建設する。2)戎橋の橋桁に高さ10m・7.5m・5m・3mの4種類の高さのオリンピック級飛び込み台を設置。3)7月の河川愛護月間に、集中的にプール内外の川底の危険物やヘドロを除去し、浄化作業を行う。4)大阪、及び近県の中高、大学、職場での安全なダイビング指導の実施。5)一定期間の指導を受けた飛び込み志願者の中から、オーディションで500人を選考。6)汎神優勝確定のXデーに道頓堀周辺を交通規制し、「優勝祝賀飛び込みコンテスト」を実施。美技を披露した者には賞金を与える。7)飛び込み台以外からの非選考者による違法ダイビングには、一万円以上の罰金を兆課――などとなっている。

「優勝祝賀飛び込みコンテスト」のエントリー部門は以下のとおり。

1)火のついた一輪車に乗りながら、皿回しをしながら、たいまつを持って新体操しながら、ナイフを投げながら等の美技アクロバット部門。

2)発煙筒を背負ったり、自分の体で花火を打ち上げるなどの瞬間芸部門。

3)グループでダンスやコントをしながら飛び込む、グループ演技部門。

4)アニメキャラ、セーラー服、看護婦、スッチー、タマちゃん、その他コスプレ部門。

5)褌、ビキニ姿(ヌードは不可)で鍛えた体の美しさを競う、ボディビル部門。

6)楽器の演奏をしながら、バナナの叩き売りをしながら、仁義を切りながら、彼女に結婚の申し込みをしながら、等のフリースタイル部門。

7)吉本の芸人他、関西在住芸能人・文化人のセレブ部門。

 

 大田知事は昨日の記者会見で、「タイガースの躍進を弾みとして、大阪を元気にしていくことが最終目的。水都大阪のシンボルである道頓堀川を、府と市が協調してプロモートしたい」と述べ、「大阪府公認飛び込み台建設案」の趣旨は、「大阪の活性化」にあると改めて強調。また、道頓堀川の管理は4月から大阪市に移ったため、飛び込み台建設と川の浄化費用は、「府と市と半分ずつ出し合う形で賄いたい」と示唆した。「優勝祝賀飛び込みコンテスト」については、大阪府警と協力して行うことが確認済みだという。

 しかし、優勝当日は1万人を超える群衆が予想されている道頓堀界隈だ。芸能界復帰を目論む前知事を始め、数々のゲリラ飛び込みが予測されており、警戒に当る南署警官たちは不安で一杯。周囲の危惧をよそに、大田知事自身、すでにボディパンプと高飛び込みの個人レッスンを始めており、「汎神が優勝する頃には、素晴らしい体での飛び込みを皆さんに見てもらいたい」と自らのコンテスト参加に意欲満々だ。

 

 

美技アクロバット部門
コスプレ部門
グループ演技部門

(注)写真は想像図

 

 

 


「ハクビシンを捨てないで」全国各地でデモ

2003年612日


 中国と香港の調査チームが、中国南部で売られていた食用ハクビシンなどからSARSウイルスに類似したウイルスを検出して3週間。以来、日本各地で「ハクビシンを街で見た」との通報が1日十数件にのぼっている。東京都鳥獣保護科によると、そのほとんどが「海外からペット用に輸入されたハクビシンを、飼い主自らが捨てたもの」だそうだ。台湾人医師によるSARS入国騒動が起こった先月末など、野生化したハクビシンが人家や畑などで発見され、なぶり殺しにされるケースもあったらしい。

 日々エスカレートするハクビシン・バッシングに耐えられなくなったのか、8日の日曜日、東京・代々木公園では全国から約2千匹のハクビシンが集まり、「対ハクビシン迫害反対」を訴えるデモ行進を行った。集会の実行委員会であるハクビシン保護団体「ラブピース・ハクビ」の代表、リリーさん(4)は、「私自身、先月末に飼い主に捨てられたばかり。幸いシェルターに保護されたが、自分と同じ立場で苦労しているハクビシンを見るたび辛い思いがする。状況はひどくなる一方」と涙を浮かべる。

 同日は長崎市内でもハクビシン・パレードが行われ、九州全土から約300匹以上のハクビシンが参加。「捨てるのは身勝手」「食べる方が悪い」「食材活用自粛要求」「タヌキやアナグマはなぜ許される」「悪者はアライグマ」「俺たちに明日はニャい」「ニャロメ」などのスローガンを掲げて道行く人々に訴えた。飼い主と一緒に参加したという大分県に住むクロミさん(1)は、「集会だけでは満足できない。ハクビシンをいじめる人たちに私たちの怒りや悲しみを伝えたい」と語る。土曜日に行われた千葉ピースハクビ・ウオークに参加した成田山に住むキバミさん(6)も、「厚生労働省は、日本産ハクビシンには危険性はないと言っているのに悔しい」と理不尽な差別に怒りをぶちまける。

 今週の月曜日には、秋田市のJR秋田駅前広場でハクビシン迫害に抗議する「ダイ・イン」が行われ、主催団体代表のパフォーマー、マルセル・ハクビさん(4)が、中国広東料理で犠牲となったハクビシンたちの無惨な遺体の写真を首に下げ、仲間20匹と共に地面に横たわった。火曜日には宇都宮市駅前で、ハクビシンの太鼓グループ「ハクビ心鼓」の5匹が大きな腹太鼓をポンポコ叩いて演奏。代表者の二代目ハクビ堂さん(8)は、「太鼓を打ってもどうにもならないかもしれないが、同じ空の下で続くハクビシン迫害に反対の意思を示したい」と熱っぽく訴えた。

 

 

「千葉ピースハクビ・ウオーク」参加者たち

 

 

 


イカ塩辛入りもマヨネーズ 愛好者が農水省に改正要求

2003年512日


 新潟県の自然食品会社、八田食品(八田利一社長)の「八田のマヨネーズ」が、日本農林規格(JAS)法の基準にないイカ塩辛を使っていることを理由に、農水省から「マヨネーズ」と表示することを禁止されたのに対し、同製品の愛好家グループが10日、農水省に基準の改正を求める訴えを起こした。

 八田食品は1985年からイカ塩辛やキムチ、ワサビなどを含んだ辛口マヨネーズを製造販売してきた。しかし昨年、農林水産消費技術センターから、「JASの品質表示基準はマヨネーズの原材料としてイカ塩辛は認めていない。『八田のマヨネーズ』は舌触りもシコシコし、味もマヨネーズというよりイカ塩辛そのもの」と指摘され、同社はやむなくパッケージの商品名を、「八田のマヨネーズというよりイカ塩辛そのもの」に変更したという。

 この日、全国から約123,000人の署名を提出した「八田のマヨネーズ」愛好家グループ40人は、「イカ塩辛にマヨネーズを混ぜてもイカ塩辛と言える。マヨネーズにイカ塩辛を混ぜてマヨネーズと言ってもいいじゃないか。いかにも消費者を軽んじた食品行政に怒りを覚える」、と農水省前で座り込んで抗議。10本足のイカを模した白装束姿の支援隊約30人も応援に駆けつけ、イカ塩辛をマヨネーズの原材料として認めるよう一貫となって訴えた。同省は今の所、「この件は農林物資規格調査会で再審議中」とし、即答を避けているという。

 尚、八田食品は他にも生クリームを使用した減塩醤油「クリーミー生醤油」、たこ焼きを利用した天然醸造酢「タコちゃんビネガー」、辛子明太子を原材料としたプロティン飲料「めんたいドリンク」、納豆入りフルーツジャム「ジャム・ド・ナトゥ」、サメ肉入りダイエットクッキー「鮫肌スイート」、ワニ皮入り煎餅「ワニ煎」、ウナギの蒲焼き味ダイエットティー「蒲丸茶」などを製造しており、素材のユニークさでキワモノ好きグルメ族の人気を集めている。

 

 

 

 


たった一人の卒業式−宵島中

2003年320日


 坂入市宵島(よいのしま)の宵島中学校で19日卒業式があり、たった一人の在校生、大原健一君(15)が講堂での式典に臨んだ。大原君は自分でオルガンを弾いて元気に「蛍の光」を歌い、壇上で一人で答辞と送辞を読みあげ、「一人でよく頑張った。これからの人生を力強く歩んで欲しい」と自分自身を激励。自分で清書した卒業証書を自分に授与した後 、セルフタイマーで自分を囲んで記念撮影した。

 式後、大原君は頬を染めながら自分自身に制服の第二ボタンを取って渡し、「たった一人で同級生や先輩後輩、先生方、校長先生や給食のおばさん、用務員さん役まで勤め、大変だったが生きることの大切さを教わった。将来、島に恩返しができるよう頑張りたい」と明るく自分に語った。

 たった一人の島民、大原君は4月から坂入市内の高校に通うため島には人がいなくなり、宵島中学は事実上の閉校となる。大原君は一人でまとめた卒業文集を感慨深そうに見入り、自分で演じた同級生の女の子へのほのかな想い、たった一人で400mリレーを走った体育祭や四部合唱を一人で歌い上げた合唱コンクール、全ポジションの他に監督、チアガールまで一人で勤めた野球部、校門で見張る自分に生徒手帳を取り上げられまいと遅刻ギリギリで駆け上がった坂道など、たった一人の思い出の詰まった校舎を後にした。

 

 

 

 

 


気象庁開花予想 VS.

2003年312日


 桜が気になる季節になった。気象庁による開花予想日も各地で出始めたが、昨年は西日本では予想を大きく裏切り、福岡県の開花予想日が22日だったのが一週間前の15日に早くも開花、一週間後には満開となった。その結果、気象庁による満開予想の3月下旬から4月初旬に花見ツアーを企画した観光会社は、早々と散り始めた桜に中止を余儀なくされ、ツアー客も激減。旅行会社や花見イベントの主催者たちも桜に振り回され通しだった。

 現役時代、開花予想日を当てるのでは神業と言われ、「桜の寅さん」と異名を取った元福岡管区気象台予報官の花崎寅治郎さん(70)も、ここ数年の桜の開花予想の難しさにはため息を付く。

「年々、桜のわがままが進んで予想が難しくなる一方。50年間つき合ってますが、昔はずっと素直やった。こっちがコンピューターやら使うて科学的に分析し始めた頃から、奴等もわしらのウラかく事ばかり考るようになりよった」

 植物である桜が人の予想のウラをかこうとするなんて嘘のようだが、花崎さんに言わせると、予報官の間ではよく知られた真実だという。植物の中でも桜は気まぐれ度が強く、注目しすぎると蕾を固くしたり、無視するとあだっぽく開花したり、どちらかというと女性的な性格らしい。

「昨年はおまけに、桜の木の前で予想日をうっかりばらしてしもうた奴がいた。そのせいで、桜はこっちのウラかいてやろうと一週間も早く開いちまった」

 2月が暖かかった事もあり、今年3月5日に気象台の発表した福岡県の開花予想日は「19日に開花、24日に満開」と平年よりかなり早め。この予想がピッタリ当たるのかどうか、「桜の寅さん」にも実の所、確信はないらしい。それでも、今年はイベントを企画する知り合いの商工会議所や旅行会社に泣きつかれ、隠居の身ながら開花予想に一役買う決心をしたという。

◇ ◇ ◇

 花崎さんが、実際の桜の様子を見てみましょうというので、一緒に県内有数の桜並木を保有する辛木市春月町の春月公園へ行ってみた。ここは日露戦争戦勝祝賀記念としてサクラが植えられ、ソメイヨシノ300本がつくり出す花のトンネルの見事さで名高い。しかし、さすがにまだ3月初旬。夕暮れ時の風は肌寒く、桜のつぼみも小さくて目立たない。

 花崎さんは桜並木の中央に立つと、右手の人差し指をぺろりと嘗め、腕を頭上高く持ち上げた。

「あ、感じる感じる・・・桜が呼吸ばしとる」

 木の芽時の公園を歩くと、木々から「気」が湧いているのを掌に感じると聞いた事がある。そんな感じだろうか? 花崎さんにそう聞くと、それくらいは呼吸法を身につけた人なら誰でも感じるレベルで、花崎さんの場合は、若い頃からなじみの桜がゼイゼイ喘いでいる吐息や鼻息、笑い声まで聞こえるという。そう言った後、花崎さんはいきなりしゃがみ込んで笑い出した。

「あいつらめ。わしの毛がまた薄くなりよったと言って笑っておるとよ。ヒヒヒ・・・」

 どうやら桜同志の囁き声が聞こえたらしい。開花はいつ頃と思うかと尋ねると、花崎さんは「しっ」と鋭く叫んで人差し指を記者の口に持っていった。桜が全身を耳にして聞いているという。記者が思わず振り仰ぐと、枝という枝が風もないのにザワザワ揺れて見えた。

「奴らが素直やったらコンピューターの予想通り、19日に開花、24日に満開です。間違わんように念を押しておきましょう」

 記者の耳にそう囁くと、花崎さんは両手を大きく広げ、桜並木をいきなり駆けだした。短い銀髪が風に舞って、昔話に出てくる花咲爺のようだ。

「うほ〜い、うほ〜い! 26日に開花、31日に満開! うほ〜い、うほ〜い! 」

 ザワザワザワザワ・・・・記者はその時、桜の枝が走る花崎さんを迎えるように、手前から一つ一つ、お辞儀しながら揺れているように見えてしかたがなかった。

「これで桜はウラかこうとして、わしの言った日付けの一週間前、気象庁の予想通り19日に開花、24日に満開になるはずです。ほぼ間違いないです」。帰りの電車で花崎さんは自信を持って言い切った。記者は花崎さんの顔を見ながら、熟練の気象予報官というのは霊能者か占い師みたいだなと思った。

◇ ◇ ◇

 さて、花崎さんの話を聞いて一安心した商工会議所や旅行会社は、一斉に24日の満開日に向けて花見ツアーやイベントの準備に入った。退官するまで40年間、的中率80%を誇る花崎さんが自信を持って宣言しただけに、人々の信頼は厚かった。陽気も日に日に良くなって暖かさも増し、蕾も順調に膨らんでいるように見えた。

 さて、3月18日、開花予想日の前日となった。しかし県内のどこの桜も蕾は膨らみ、色味を増しているのに開く気配を見せない。19日の夜が明けた。しかし蕾はまだ開かない。その後、数日が過ぎ、一段と春めいた暖かさを増し、周辺のほとんどの県の桜が開花したというのに、福岡県の桜だけは不思議に開かないままだった。

 「昨年は予想がはずれて、散り終えた葉桜の中でイベントを決行した。2年続きで桜無しでは寂しい。ほんの少しでも開いて欲しい」。花崎さんを全面的に信頼し、24日夜に春月公園で「大桜まつり」を予定した商工会議所事務局長、青葉茂さん(45)は、23日、泣きそうな表情で呟いた。青葉さんは、花崎さんのアドバイスを入れて祭りの飾り付けを24日の朝までしないと言う。桜が気まぐれを起こして咲くのを途中で止めるのでは、という懸念からだった。

 24日の夜が明けた。気温18℃、 うす曇り。いつになくポカポカと暖かい。しかし蕾は未だに開かない。「大桜まつり」の飾り付けが一斉に始まったが、青葉さん他スタッフたちの表情は暗かった。24日の午後になり、夕方が過ぎ、飾り付けが全部終わっても桜は開こうとしなかった。その時点で、ほとんどの旅行会社がツアーをキャンセルした。商工会議所主催の「大桜まつり」も延期しようという声が上がったが、イベントに呼んだタレントのスケジュールの関係もあり、あえて決行という事になった。

 午後7時、枝々に色鮮やかな提灯が灯され、2年続きの桜無しで2003年度の辛木市商工会議所主催「大桜まつり」が始まった。地面にゴザを敷いて地酒を酌み交わしながら、青葉さんたちは無理に笑い、酔い、踊り、大声でやけくそのようにカラオケを歌った。特別参加した花崎さんが一番酔っているように見えた。空しい宴が終わりに近づく頃、予想もしなかった雷鳴が轟き、豪雨となった。「大桜まつり」の参加者たちは濡れ鼠になって這々の体で駆け出し、記者は花崎さんがその夜、高熱を出したと聞いた。

 翌25日の深夜近く、記者はもう一度、春月公園に来てみた。汗ばむように陽気なのに、蕾の様子は一週間前に見たのとほぼ同じ、寸分も変わっていない。いつでも開きそうなのに、一向に開かない桜たち・・・日頃、実質的にしか物を考えない記者でさえ、桜がわざとこちらの感情を読みとり、じらしているように見えてしかたがなかった。

 ふと記者が前を見ると、何と桜並木の中央に高熱で寝ているはずの花崎さんが立っている。しかも素っ裸に赤いチャンチャンコと赤いジャージー、赤い靴下、日の丸を描いた白い扇を挟んだ赤い鉢巻き、右腕にボールのようなコンテナを抱えている。花崎さん、と記者が声をかけたその時だった。

「花咲爺、花ば咲かして見ましょうや!」

 そう大声で叫ぶと、花崎さんはボールから白い灰のような粉を取りだして、走りながら左右の桜の木の根本に一本一本振りかけはじめた。記者は本気で花崎さんが気が狂ったのかと思った。花崎さんは叫んでは灰をかけ、みるみるうちに並木のずっと向こうまで行ってしまった。記者がやっと追いつくと、花崎さんは頬を真っ赤にして地面に四つん這いになり、ゼイゼイ荒い呼吸をしていた。大丈夫かなと思ったが、様子があまりにも真剣なので何も言えなかった。その後、二人でしばらくそこにしゃがみ、黙って桜の様子を見ていた。蕾はやはり一向に開花する様子はなかった。

「イジワル爺しゃんに殺されたポチの灰やなかです。ただの石灰やから駄目なんか・・・。くそー、何で咲かんとよー!!」

 そう叫んでから花崎さんは、うーんと唸って仰向けにひっくり返った。触ると額が燃えるように熱い。記者はあわてて救急車を呼ぼうと国道に向かって走り出した、その時だった。背中に鳥肌の立つようなぞくぞくする物を感じるではないか。キッと振り返ると、桜の枝という枝がザワザワザワと風もないのに大きく右左に揺れ、蕾がゆっくりとほぐれるように開花しかけている! 

「は、花崎さん、さ、桜、さ、咲き始めましたよ!」

 記者があわてて花崎さんにそう告げると、花崎さんは目を閉じたまま、「咲いたかっ」と鋭く叫び、それから低い声で笑った。

「奴等め、ウラのウラをかきおって・・・ヒヒヒ」

 ウラのウラ? 花崎さんは確か以前、「26日に開花、31日に満開!」と桜に告げたはず・・・。記者が考えている間も、桜という桜が次から次にボン! ボン! と音をたてるように開き始めた。薄いピンク色の花弁が夜目にも浮き上がるように鮮やかだ。もう満開まで時間はそれほどかからないだろう。記者の耳に遠くから26日の午前零時を告げるサイレンの音が聞こえてきた。

 

 

 

 

 

 

 


丹波篠山の農家でゴッホの「麦畑」発見

2003年2月22日


 洋画家、故中川一政氏の「作者不詳」だった油絵が、先日、ゴッホ(1853-90)の初期作品だと分かったばかりだが、今度は兵庫県篠山(ささやま)市の農家で、新たにゴッホの晩年作「麦畑」シリーズの小品(8号)が発見された。

 見つかったのは農業、山本武さん(67)宅の居間。明治時代に建てられた母屋の座敷の壁に、家族の誰もゴッホだと気が付かないまま、1901年(明治34年)以来百年余に渡って飾られていたという。画家だった山本さんの祖父の末弟、幸之助さん(1867-1900年)がパリで亡くなった際、遺品に混じってフランスから送られて来たので、誰もが幸之助さん作品だと思っていた、と山本さんは語る。

「叔父の絵だと信じて疑った事もなかったです。まあ、うちは叔父以外、代々芸術には無関心。『ゴッホと『ピカソ』の違いも分からぬ無骨者揃いじゃが、この絵がゴッホだなんて、まさか・・・ゴホン(咳)」

 この「南仏之畑図」と山本さんの曾祖父によって名づけられた絵が、ゴッホの作ではないかと言い出したのは、つい最近、山本さん宅に家庭訪問に訪れた孫の担任、田中清一さん(37)だった。中学の美術教師でもある田中さんは、「南仏之畑図」は、ゴッホの晩年作「鳥の群れ飛ぶ麦畑」に酷似している、専門の鑑定家に見てもらうべきだと主張。山本家が関心を示さぬまま、田中さん自ら東京の西洋美術館に絵を持って行ったという。田中さんは語る。

「誰が見てもゴッホです。子供が見てもゴッホです。ゴッホが見てもゴッホです。何でゴッホが丹波の篠山にあるか不思議でしたが、ゴッホだと今まで誰も気づかなかったのも不思議です」

 西洋美術館の学芸員も一目見て田中さんの意見に同意し、ゴッホ研究の権威であるアムステルダムのゴッホ美術館に絵を送って調査を依頼。ゴッホ美術館も強い関心を寄せ、エックス線による調査を重ねた結果、「下地は別人の絵だが、上に乗せられた筆は明らかに最晩年のゴッホの手による物」とする報告書が、先月、東京に送られてきたという。「別人」というのは幸之助さんの事で、「南仏之畑図」は、「幸之助さんの作品にゴッホが手を加えた物」だという事も、その後、納屋で見つかった幸之助さんの帯仏日記、ゴッホの書簡、その他で判明した。

◇◇◇

 山本幸之助さんは、地主、山本家の三男として明治元年に生まれ、幼い頃から絵が好きで15歳で京都四条派絵師に弟子入りした。その後、18歳で上京して日本画家、川島玉球に私事したが、突如として洋画に転向。1888年(明治21年)、その頃日本に伝わったばかりの写実の画法に憧れ、本場で学びたいと親の反対を押し切って渡仏したそうだ。山本さんは語る。

「祖父が言うには、幸之助叔父はやる気だけ満々じゃが、絵はヘボとしか言いようがなかった。伊達男で気まぐれ、夢みたいな事ばかりぬかしおって、死ぬまで親に金をせびっとった。死んだ後、フランスから友人の手で送られてきた絵も素人目にも稚拙な物ばかりで、『子供より下手くそ』って、親戚の誰もが鼻で笑ってたそうです・・・ゴホン(咳)」

 幸之助さんはフランスではパリの官立美術学校の試験に臨んだが失敗、翌年、南仏に移ってアルルの小さな美術学校で学んだ。1890年(明治23年)にはパリに戻って製作を続けたが、33歳で結核が発病。生涯一枚も作品は売れないまま、1900年(明治33年)にパリで亡くなったという。

 先月末、物置小屋で見つかった幸之助さんの帯仏日記にアルルでゴッホらしい男と出会った記述があり、「これによってすべての謎が解き明かされた」と前述の田中さんは興奮した面持ちで語る。

「幸之助さんの日記にはこうあります。

"1889年5月8日晴れ。今朝、畑で絵を描いている折、左耳の切れた赤毛の変な男近づいて来たり。いきなり余の絵の具を取りだし、カンバスの上に直に塗りたくり始め、あっという間に畑を真っ黄のぶちぶち、空を真っ青のぶちぶちに塗りたくりけり。余怒りて殴ってやれば、男泣きながらサン・レミの方へ逃げ行き候。もう嫌。やる気なくなったで候。パリに帰るで候"

まことに感動的な描写です。そして、同日のゴッホの弟テオへの書簡にはこうあります。

"1889年5月8日晴れ。愛するテオ、今朝、畑で東洋人が絵を描いているのに遭遇した。憧れの国、ニッポンから来たらしいが、ホクサイの凄みなどまるでなく下手な西洋画の模倣をしていた。僕は浮世絵の色を思い出させてやろうと思い、絵の具をチューブから出して直接男のカンバスに塗りたくってやった。男は真っ赤になって怒り、僕を殴った。ひどく悲しかった。もう嫌。サン・レミの病院に入る。ヴィンセント"

 この前年、ゴッホは共同生活していたゴーギャンと不和になり、12月に耳切り事件を起して入院。その後繰り返し精神錯乱の発作に襲われ、1889年3月には、市民に「赤毛の狂人」と呼ばれ、病院に監禁するよう市に請願書まで出されています。そして5月8日、ゴッホはサン・レミの精神病院へ自ら入るのですが、どうやら幸之助さんに殴られた事がショックで、その足でサン・レミへ行き、入院を希望したらしいんです。これは西洋美術史上、大変な発見です」

 ゴッホはその後、1890年7月にピストル自殺している。一方、幸之助さんは"変な男"--ゴッホの乱入をきっかけとしてアルルでの創作意欲を失い、パリに移る決心をしたらしい。ゴッホは1889年と90年にパリのアンデパンダン展に出品しているが、幸之助さんがそれを見たという記述は日記のどこにもなく、ゴッホが1910年の回顧展で名声を得た時、幸之助さんはすでに亡くなっている。幸之助さんが「南仏之畑図」を生涯潰さずにいたのは偶然にすぎない、と田中さんは語る。

                 ◇◇◇

 ゴッホ美術館のエックス線検査によるまでもなく、誰が見ても「南仏之畑図」はかなり変色しており、カンバス自体の破損もひどい。山本さんは自嘲気味に語る。

「・・・壁の穴を隠すのにちょうど良いという理由だけで居間に飾ってたんです。『気色悪い』『不気味』と、代々家族の皆が嫌ってました。だからちゅうては何じゃが、(苦笑)タバコの火を押しつけて灰皿代わりにするわ、ナイフ投げの的にするわ、鼻くそはなするわ、唾や醤油は引っかける、猫が爪とぐわ、落書きはするわで、この絵は100年間、うちでさんざんな目に遭ってきたんです・・・ゴホン(咳)

 そんな傷んだ絵でも、「ゴッホ」というブランドが美術コレクターの垂涎の的となり、「売ってくれ」という要望が、世界中の画廊や美術館から引きも切らないらしい。今朝は五千万円の札束を抱えて東京の大きな美術館が直接交渉にやって来たという。五千万?」と聞き返す記者に山本さんは、ゴッホなら一億円出しても良いという話もニューヨークとパリから来ている、と禅僧のように静かに答えた。

「やっぱり良い物は良い・・・ゴホン(咳)。ゴッホだと知った途端、この絵の良さが分かりました」

 山本さんは誰に売る意志もなく、家宝、いや、丹波篠山の郷土の宝として大事に保存しておきたいという。強盗が心配だから一億円の保険に加入し、防犯センサーを内蔵した鋼製二重構造耐火金庫にしまい、家の塀にはコンピューターによる常時監視システムを採用、屋内にもドーム型カメラを設置し、小猫一匹さえ入れないICカードによる立入制限をするという。

「来年あたりスポンサーを見つけて、裏のイノシシ山に『丹波篠山ゴッホ・ミュージアム』を作るつもりです・・・ゴホン(咳)。見物料は大人一人千五百円くらいは取れるでしょう」

そう言ってから山本さんは愉快そうにゴッホゴッホと笑った。

 

 

 

「猫が爪とぐわ、落書きはするわ」

「南仏之畑図」

 

 

 

 

 


たまたま

2003年2月5日


 4日午後2時ごろ、横浜市のコンビニエンスストア「ファミリーマイド横浜店」に若い男が押し入り、店長の目白孝さん(45)と男性店員(17)を「金を出さないと殺すぞ」と恐喝。その後、男は目白さんの腹を蹴り、レジの中にあった現金3万円をわしづかみにして逃走した。

 この騒ぎをたまたま近所に住む専修大陸上部の箱根駅伝強化選手、上野速雄さん(20)が目撃。上野さんは約50メートル先の路上で店員が男ともみ合いになっているところに追いつき、男に「俺は箱根駅伝強化選手だ。俺からは逃げられない」と一喝。男はあきらめたのか一端おとなしくなったが、すきを見てまた逃走。上野さんが全速力で後を追ったが、男は意外な俊足で、またたくまに引き離された。

 そこへたまたま馬で通りかかったのが、学習院大馬術部員で国体障害馬術強化選手の高田馬場雄さん(22)。高田さんは馬で男を追いかけ、追いついた所で、「俺は国体障害馬術の選手だ。俺からは逃げられない」と一喝。男はあきらめたのか一端おとなしくなったが、すきを見てまた逃げだし、たまたま側に繋いであった裸馬に飛び乗って逃走。竹田さんが全速力で後を追ったが、男は意外な馬術の名手で高い塀を軽々と飛び越し、またたくまに引き離された。

 そこへたまたま通りかかったのが、警察官でアジア大会射撃強化選手の鶯谷飛男さん(26)。鶯谷さんは疾走する馬の足元に向かってピストルを威嚇発射。音に驚いた馬は後足で立ち上がり、男は地面に振り落とされた。追いついた鶯谷さんは、「俺はアジア大会射撃強化選手だ。俺からは逃げられない」と一喝。男はあきらめたのか一端おとなしくなったが、またまたすきを見て逃げだし、たまたま地面に落ちていたレーザーガンを拾い上げて鶯谷さんに発砲。鶯谷さんは電柱を盾に応戦し、互角の撃ち合いが続いた。そのうち男の一発が鶯谷さんの手元に命中、男は再び逃走した。

 そこへたまたま通りかかったのが、慶応大のユニバーシアード・フェンシング強化選手、新大久保剣也さん(21)。新大久保さんは男に追いついた所で剣を突きつけ、「俺はフェンシングでユニバーシアードに出る選手だ。俺からは逃げられない」と一喝。男はあきらめたのか一端おとなしくなったが、またまたすきを見て逃げだし、たまたま地面に落ちていた竹の棒で新大久保さんを攻撃。男は思いの外の確かな剣さばきで新大久保さんを追いつめ、新大久保さんが地面に倒れた所で竹を捨て、近くの雉子川に飛び込んで泳ぎ始めた。

 そこをたまたま泳いでいたのが、寒中水泳していた東海大オリンピック水泳強化選手の品川泳介さん(23)。品川さんは得意の競泳で男を追いかけ、追いついた所で「俺はオリンピック水泳強化選手だ。俺からは逃げられない」と一喝。男はあきらめたのか一端おとなしくなったが、またまたすきを見て逃走。男は意外に巧みな泳ぎ手で、品川さんを大きくリード。下流付近でコンクリート台に駈け上がり、そこにたまたま寝ていたアゴヒゲアザラシのタマちゃんを両手で抱き上げ、「俺に近寄るとタマの命はないぞ」と泳ぎ着いた品川さんをおどした。

 その後、男はタマちゃんを横抱きにしたまま土手を駈け上がって逃げようとしたが、土手の上には110番で駆けつけたは機動隊員ら20名が待ち構えており、「俺たちは機動隊だ。俺たちからは逃げられない」と男を二十喝。男はあきらめたのか一端おとなしくなったが、またまたすきを見て逃げだし、機動隊員が発砲。弾はたまたま男の下半身に命中し、男は「タマタマ・・・」と一声呟いてその場に倒れ、強盗傷害の現行犯で逮捕された。

 警察では、現在男の身元を調べているが、陸上、馬術、射撃、フェンシング、水泳に異常に通じている事から、近代五種競技の有力選手ではないかと見て、関係者に事情を聞いている。男はタマタマに5ヶ月の重傷。タマちゃんは多摩水族館に保護された。

 

 

 

「タマちゃん」

 

 

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